「響〜小説家になる方法〜」を読んだ

「人からおすすめしてもらったことは、すぐに体験して感想を伝えろ」。

 

これは、人とうまく関係を築けない僕に社長が送った言葉である。たとえばおいしい店を教えてもらったらすぐに行って感想を伝える。すると「こいつは人の話を聞く耳も、動かす足も、高い感度も持ち合わせているな」と印象を与えることができて、結果的に「かわいい後輩」になれるのだとか。

 

こういう、いわゆる「あざとい」やり方は反吐が出る。おええ。「うまく生きる」なんて小賢しいだけで、そんなもんで信頼関係を築き上げる人が「勝ち組」になれるのだとしたら、負け組で結構である。なんぼでも成り上がるがいいさ。俺は社会の下層でたまに愚痴をこぼしながら役割を全うすることにする。その代わり宝くじ当たってくれ。できれば7億。

 

話が逸れてしまった。

 

しかしおすすめを素直に聞く、というのは非常に良いことだと思う。自分自身、勧めたものを試してくれたらすごく嬉しいし、それで楽しんでくれたのならもっと嬉しい。それに、自分よりも体験がゆたかな人に教えてもらえたことは取り入れてみたい、と思っていることも事実。積極的にこなしていこう。仕方ない、こうなったらうまく生きてみようじゃないか。めざせ愛されギャル。ゆるふわ系。マシュマロボディ。

 

前段が長くなったが、おすすめされた漫画はちゃんと読んで、読書感想文を書いて伝えよう、という話なのだ。それが礼儀でもあるし、僕も深くまで漫画を楽しめる結果にもつながると思う。

 

 

まずは最初におすすめされてすぐに読んだ、この作品から書いてみる。

 

 

「響 ~小説家になる方法~」

 

 

こちらはマンガ大賞2017において見事大賞を獲得した話題作で、僕も常々読みたいとは思っていたこともあって、手をつけやすかった。

 

 

まずは「絵が下手」ということについてふれていこう。漫画というものには作家それぞれの画風があって、それに読者たちの好みがあって判断されるものだから、画力というものはなかなか評価しづらいところがある(たとえば「エア・ギア」は上手なのか?「ドラえもん」は下手なのか?と聞かれたら、正直困る)。だが、この「響」は、味があるとか個性では片付かない。普通に「ちょっと下手」。

 

 

もちろん、「漫画家の中では」、さらに言うと「マンガ大賞を獲っているのに」という枕詞があってはじめて成り立つ「下手さ」だ。いたずらに画力を批判したいわけではないことを、ご了承いただきたい。

 

 

さて、漫画の入り口でもある「絵」で多少なりとも遅れをとっている「響」であるが、その内容はどうか。実はこれ、まだ判断がつかないところが多い。まず続刊中であるから評価は下せない、という前提もあるが、期待値が高すぎるのが問題だ。

 

 

仮に批判を覚えた猿がこの作品にふれたとしたら、「俺ツエー作品」のひとつと罵るだろう。主人公は紛れもない「天才」そして「異端児」。よくある設定の中でもありすぎて避けたくなるような設定だ。

 

 

それでもこの作品が面白いと断言できるのは、その新しい切り口があってこそだ。テーマは「純文学」。しかし「文学をオマージュしたオシャレ気取り漫画」ではない。この作品は、とある少年少女たちの成長を、小説家という職業を切り口に語っていくという、他に見ない手法をとっている。これは、本当にどう転ぶか見物である。主要な登場人物の設定は多種多様で、そのうちの誰かに自分を重ねることもできるだろうし、別段そんな読み方が強制されている訳でもない。どんなスタンスでこの作品とふれたらいいのか、それすら僕はわかっていない。

 

 

そして僕がもうひとつ面白そうだと思っているのは、この物語には「悩みある大人」がたくさん出てくるところ。ボーイミーツガールのかたちをとった作品に多いが、成長を描く漫画の多くに出てくる大人は、アドバイザー的立ち位置にいる。しかしこの作品は小説家という特殊な職業を扱っているからこそ(偏見かもしれないが)、現代社会や自分自身に対してコンプレックスや不満のある大人がたくさん出てくる。それが本当に面白い。だから僕はわくわくする。これから先どんな大人が現れるのだろうか。ここの期待値だけでも十分読んで価値のある漫画だった。

 

 

とは言うものの、現在まだまだ発展途上の漫画だと思うし、これから先どんな風に良くなっていくのか、楽しみである一方、作者の妄想だけで完結するような説得力のない漫画になってしまうような気がしないでもない。でも大切なのは「今、面白いと思ってこの漫画を読んでいる」ことだと思うので、大人しく続刊を期待することにする。

 

 

 

以上。初回から気合いを入れて感想文を書いてしまった。今後はもっとサクッと書いてその分読書に時間を回そうと思う。終わり。

 

僕と彼女の話をはじめる

彼女と僕のなれ初めを語ろうと思う。なぜそんなことをするのかと言うと、忘れてしまっては困るほど良いなれ初めだからだ。ただ、書く前からなんとなくわかっているのだが、たぶん多少美化してしまうだろうし、長くなってしまうだろうから、本当に暇な人だけ読んでくれたらいいと思う。

 

しかしこのブログを読みにきている時点であなたは相当暇な人であることに間違いはないので、ぜひ最後まで読んでいってくれたまえ。

 

 

 

彼女と出会ったのは、サークルの花見会場へ向かう電車の中だった。突然、顔も知らない女の子に「あ~マイミクの那須くんやん!那須くんもこのサークル入るん?」と声をかけられたときのこと。(いろいろあって)女性の対応にあまり慣れていない僕があたふたしているにもかかわらず、矢継ぎ早に話を進める彼女が、「あ!この子、うちのオススメやねん。かわいいやろ。うちのやから、とったらあかんで」と紹介してきたのが、彼女だった。

 

 

当時の僕は、その出会いをどう思っていたのだろうか?今回は特別に当時の僕に時間をいただき、直接インタビューする貴重な機会を得た。

 

 

 

お忙しいなか、お時間をいただき

ありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 

 

何かしこまってるんですか(笑)。

はい、よろしくお願いいたします。

 

 

さて、先ほど紹介された女の子ですが、

率直にお聞きしますが、タイプですか?

 

 

いきなりやなぁ(笑)。

タイプか~うーん。顔はかわいいですよね。

 

 

顔「は」。

「は」というと、何かトゲを感じるのですけど(笑)。

 

 

やめてくださいよ(笑)。

ほんま那須さんにはかなわんわ(笑)。

でもまあ、強いて言うなら、服装が、ね。

 

 

服装、ですか?かわいらしいと思いますけど。

 

 

ああいうコテコテの古着の感じって、

結構難しいと思うんですよ。

なんというか、友だちならいいけど、

カップルとして並んで歩くのはちょっとなぁ

 

 

トゲありますね~。

 

 

いや、強いて言うならですよ!(笑)

でも今、大学入学したての4月じゃないですか。

大学での人間関係って、

第一印象でつくられていくでしょ?

だから、服装って大事やな、と思うんです。

ああいう難しい服を着ていると、

あんまり周りを気にしてないというか、

扱い難しい子なのかな、って思ってしまいます。

 

 

要するに、

服装がダサいからタイプじゃないってこと?

 

 

そんなこと言うてないでしょ!(笑)

だから那須さんのインタビュー受けたくなかってん。

 

 

ごめんごめん(笑)。

でもタイプではないんだよね。

 

 

ええ、まあ。

かわいらしい子やとは思いますけどね。

 

 

 

出会いの時点では、特別な印象を持っていたどころか、少し苦手だと感じていた僕。彼女とは特別に話もせず花見会場に到着、そこで先輩たちと大いに盛り上がり、このサークルへの入部を心に決めた。そして彼女もまた同じように入部し、僕たちが次に顔を合わせたのは、たぶん、覚えてないけど、サークルの総会だったと思う。

 

果たしてこれから僕たちはどのように距離を詰めていくのだろうか。二人の想いは行き違い、愛情の紋章は輝きを失いはじめる!次回、『お好み焼き事件、そして学祭ラブ』!今、冒険が進化する。

 

 

 

 

 

 

 

スプラトゥーン2は良作なのか?

前回の更新からどれくらい経っただろうか。それすら管理できていない僕がブログを書くことにどんな意味があるのだろうか。しかしこれくらいの更新頻度が僕にとっては理想。そう、暇つぶしにさえなればいいのだ。

 

暇つぶしというと、僕には「暇だ」と感じる時間が一切ない。平日は基本的に仕事に追われているし、帰ってから寝るまでの34時間もやらなくてはいけないことがたくさんある。夕食の支度(忙しすぎてほとんどカップ麺で済ませてしまう)、洗濯や掃除、漫画を読む(荒川弘の「銀の匙」、最新巻でましたね)、小説を読む、ツイッターの各アカウントを巡回する、面白いインタビュー記事を見て回る、好きなゲーム実況者の最新動画を見る、プロ野球ニュースを見る。なんて忙しいんだ。「暇だ」なんて感じる暇なんて、僕の生活には存在しない。

 

ここ最近、そんな超多忙な僕の時間を容赦なく奪い去っているものがある。Nintendo Switchスプラトゥーン2」だ。前作からやり込んでいることもあり、このソフトの発売を心待ちにしていたし、発売から1ヶ月以上経った今では生活の一部と化している。

 

しかし、このゲームが良作なのかと聞かれると、正直な話、疑問符をつけたくなる。

 

 

ゲームは、一家団欒の象徴。

 

まず、僕は幼い頃からゲームが好きだったという話をしたい。家に初めてSFCが導入されたときは非常に興奮したのを覚えている。当時自分がプレイしたゲームのなかでも、特に記憶に残っているのは「スーパーボンバーマン5」、「星のカービィSDX」、「スーパーマリオカート」の3作。普段はそこまで仲の良くない兄とよく協力プレイを楽しんでいた記憶がある(ゲームきっかけでケンカすることもあった)。特に「マリオカート」は父や母とも一緒に遊んでいたし、白熱するレースが映し出されたブラウン管は、一家団欒の象徴だったと思う。

 

僕はその後RPGなどのひとり用のゲームに傾倒する(←今度また改めて書きたい)のだが、「誰かとプレイする」楽しみは幼い頃から味わっていたし、それがイコール幸せな時間であるという価値観も育まれていたように思う。

 

 

さとり世代の欲求にフィットする、

オンラインゲーム。

 

話をスプラトゥーンに戻そう。

 

僕はスプラトゥーンをプレイするまで、「オンラインゲーム」をプレイしたことがなかった。だから初めてスプラトゥーンをプレイして、ひとつのバトルが終わるたびに友人とLINEを送り合う感覚は新鮮だった。そしてそれは、「誰かとプレイする」幸せな時間に通じていた。

 

僕たちはさとり世代と呼ばれ、人とのコミュニケーションに対して稀薄な感情しか持ち合わせていないとよく言われる。その反面、SNSを通じて、常に他者とのつながりを求め、自己承認欲求を満たしたり、自己の存在を確かめるという性質があるらしい。なんと馬鹿馬鹿しい世代だろう。しかしその通りだと思う。

 

「オンラインゲーム」の楽しさは、その最たるところが出ていると思う。僕はTwitterを通じていろんな人と知り合って、顔も知らないプレイヤーたちと新しいコミュニティをつくる。特に社会人になってからは、現実世界の友人たちと過ごす時間は週末に限られてくるからこそ、オンラインで通じ合っている友人たちと、スプラトゥーンを通じて交流することが、日々のリフレッシュにつながっている。

 

 

誰かとプレイすることへの依存。 

 

リフレッシュというと聞こえはいいが、もはや依存症に近いものがある。スプラトゥーンはクリアのないゲームだ。正直、目的もなくだらだらとプレイしていると「飽き」が来てしまう。それなのに毎日のように繰り返しプレイしているのは、Twitterで知り合った友人たちとの唯一の「接点」だからだ。プレイを辞めることは、そのままつながりを放棄することに近しい意味を持つ。だから「辞められない」のだ。

 

「辞められない」ことが「おもしろい」ことではないと思う。だから、僕はスプラトゥーン2がおもしろいのかと言われると、首を17度ほどかしげて「まぁまぁ」と答えるにとどまってしまう。

 

正直、ゲームのバランスはアップデートでどうとでもなると思う。だからゲームの内容自体に文句を言うつもりは一切ない。ただ、作業のように手を動かしながら、SkypeDiscordで話している分には、前作でも十分事足りていたし、満足していた。新しい要素がないわけではないが、所詮延長線上でしかないな、というのが今作の印象(もちろん、前作がすごくおもしろかった分、今作もおもしろいとは思う)。

 

みんなはスプラトゥーン2のことを、どう思っているのだろうか。僕は今、ボールドマーカーというブキを使ってどれだけウデマエを上げられるか、具体的には「S10」を目標にプレイを続けている。しかしこれは「自分は中毒じゃないですよ、ちゃんと目標があるからやっているんですよ」という免罪符に過ぎない。プレイするのにこんな建前が必要なゲームが、果たして良作と言えるのだろうか。

 

 

まあ、今日もやるねんけどな。

 

 

 

 

 

やるきのなさとやるせなさ

今回から真面目に不真面目に記事を書きたいと思います。マイクテス、マイクテス、ワントゥーワントゥー。聞こえてますか。

 

さて、僕のように人生をこじらせた文系人間の大半は、自身のピークを大学時代だと感じている。そんな話をしていこう。くすぶっているのに輝いていて、青く淀んだ毎日は、これから先どうあがいても二度と味わえない。最高に贅沢な4年間だったと思う。僕のように人生をこじらせた文系人間にしかわかるまいが、あの頃は何もできないことが格好良くて、朝よりも夜の方が、近くに立ってくれていたんです。

 

社会人になってからも、そんなステキな毎日をすぐに覗けてしまうから、SNSってものは怖ろしい。それで、やっぱりSNSには同じ穴のムジナばかり集まるものだから、僕のように人生をこじらせている文系人間もいて、そんな奴がすごくいい顔で笑った写真なんかを見たときは、世界を恨みたくなってしまう。

 

こいつもいつか社会に出て、すごく嫌なことと出会って、そのうちそんなことどうでもよくなっていくのだろうか、なんて考えたら、今すぐ背中を蹴り飛ばしたくなる。

 

汚れつちまつた悲しみに、僕はどんな顔をして向き合えばいいのだろうか。泣くことすら許されないような気がしているくせに、キレイゴトを謳う映像作品を見てすぐに涙してしまったりしていて。だから彼の美しい悲しみに思いを馳せると、夜もひとりでは眠れなくなるような気がして、そこで、「ア」と、いつの間にか夜が怖くなっている自分に気がついてしまうのです。

 

こんなことを書いて気を紛らわしているけれど、彼のことを思っていると本当に辛くなってくるのです。伝わるだろうか。僕はね、彼のように、毎日にやる気がないくせに、なんとなく日々にやるせなさを感じて、それで「何かおもしろいことないかな」って言い続ける毎日が、どれだけハッピーなのかを知っている。それで、世界には「何かおもしろいこと」がたくさんあって、でも自分の周りには全然見つからなくて、それは視力が落ちているからだって気づいても、度の合う眼鏡をなくしたことも覚えているから、本当もう、八方塞がりになってしまう。本当、これからどうしようかね。